珈琲西武のヨーグルトシャーベット

あなたがデザートとしてシャーベットを選択したとき、きっとこのような思考の過程を経ているのではないかと思う。

「パフェとかケーキは重たいな」
「だけど、やっぱり何か甘いものをちょっとだけ」

上記はいたって普通の思考回路のように思われる。
しかしその前提となっている「シャーベット像」は、実は脆弱性を孕んでいる。通常であれば、そうした前提条件の誤謬が意識にのぼることはない。そう、通常であれば。

では、珈琲西武の場合どうなるか。
もちろん我らが天然喫茶のことだ。ただのシャーベットではすまさない。それが天然喫茶たる由縁であり、そしてまた仮にその点が反故にされたならば、存在証明にも関わる。

ただし、再度注意を喚起させて頂ければ、別に珈琲西武は奇をてらっている訳でもなんでもない。何ら気負い無く、このヨーグルト・シャーベットを提供している。

彼らなりのシャーベットの在り方が、おそらくはあるだろうことが容易に推察できる。ヨーグルトシャーベットによって「常識」という言葉の脆さに気付く一瞬である。
かつての思想家を気取れば、「唯シャーベット史観の転換」などと表現できるだろう。



珈琲西武のヨーグルトシャーベット

まずは写真中にあるグラスとその大きさを比較して頂きたい。
この大きさとボリュームの前では、何故缶詰のみかんが3房行儀良く並んでいるのかであるとか、カットされたキウイや洋ナシの意義は何ぞやなどという疑問は、疑問として体を成さない。真っ赤なさくらんぼのレトロさに心を奪われる余裕すらない。

我々は必死に、存亡の危機に瀕している「常識」を守ろうと、中央に微笑むなだらかな白い丘陵を何とか見据えようとする。
ところが、この些少な抵抗とも言うべき試みは、敢え無く失敗に帰すのである。誰もが溢れんばかりの生クリームとコーンに盛られたもうひとつのシャーベットを認めないわけにはいかない。

『神曲』におけるメフィストフェレスのように「常識」を嘲笑し翻弄する生クリームは、やがて一筋の光となってあなたの舌を惑わすだろう。そのときあなたは、無邪気にシャーベットの存在を過信していた頃の自分を懐かしむに違いない。

ヨーグルトシャーベットは、ストロベリー・ブルーベリー・ラズベリー・ハチミツからソースが選べる。価格は750円である。なぜベリー系ソースのなかでひとつだけハチミツがあるのかは、問うてはならない。これは先人からの忠告である。